まるこの、はなまる日和。

はじめまして。アラサーです。新婚生活のこと、仕事のこと、妊活・妊娠・流産のこと、いろいろ綴ります。

義母と実母

突然であるが、

義母との関係は良好である。

 

同居はしていないが、

となりのとなりの市に住んでいる、まあまあの距離感。

 

優しくて、朗らかで、

芸能ネタに突っ込みをいれたりして時々毒を吐く。

 

婚約して結婚して、しばらくは人見知りが出てしまったけど

この1年でだいぶ馴染めて、とても大好きであった。

夫がいなくても、一人で義実家にも帰ったりしていた。

 

 

そんな義母に、

私が妊娠したことを告げるととっても喜んでくれた。

 

 

 

流産になってしまったことも、すぐ連絡した。

 

 

 

 

一方、私は流産と言われてから

自分の気持ちが不安定で、閉鎖的になってしまって、

周りの人の言葉に敏感になってしまっていた。

夫の何気ない言葉にも、

敵意を感じて乱れたこともあった程だった。

 

 

悲しみの中にいる人にかける言葉って、難しいと思う。

振り返ると、自分でも面倒くさかったなぁ、とは思う。

 

 

ただ当時は、

自分の流産に対する義母からの言葉が

自分の求めていたものではなくて、

さらに気持ちが沈んでしまったのであった。

 

 

今言わなくてもいいのに・・・

そんなこと聞きたくないのに・・・

そんなにすぐ、気持ちなんて切り替えられないのに・・・

 

 

自分の中で芽生えた、グレーの感情だった。

 

 

今思えば、なんてことはない。

前向きになれるように、考えてくれた言葉だったのだろう。

悲しいのは義母も同じだっただろう。

 

 

でも、

私としては、悲しさの極致にいる時に

前向きの言葉なんていらなかった。

そこまでの余裕なんて到底なかった。

身内の二人目妊娠報告なんていらなかった。

 

 

それから、自分から連絡することはなかった。

 

 

 

一方、実母にも腹が立っていた。

 

娘がやっと妊娠したのに。

それが流産になってしまったのに。

 

 

なんで電話一本もかけてくれないんだろう。

 

辛くて辛くてどうしようもない時、

お母さんの声が聞きたいと思ってしまう。

 

なら、自分から電話すればいいのに、とツッコミがきそうだけど、

うーん、、、、、要するに心配されたいのだった。

 

 

このように書き記していくと、明瞭になっていくが、

自分の心がだいぶ不安定で、乱気流のように怒哀していて、

とても消耗している。

 

 

初期の流産なんて、よくある話

大袈裟に悲しむことなんてない

また次があるんだから

次頑張ればいいんだよ

 

そんな言葉がありふれているだろう。

 

 

でも、当時の自分にはすべて拒否だった。

 

 

辛かった。