まるこの、はなまる日和。

はじめまして。アラサーです。新婚生活のこと、仕事のこと、妊活・妊娠・流産のこと、いろいろ綴ります。

まるこのおばあちゃんのお話

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どうも、まるこです。

 

今日は、まるこのおばあちゃんの話をしようと思います。

 

 

 

 

まるこのおばあちゃんは、現在85歳。

 

 

認知症です。

 

施設ではなく、実家で暮らしています。

 

 

 

 

私は三世代家族の中育ちました。

 

物心がついた時からは、

ずっと子守はおばあちゃん。

 

小さいころは、幼稚園から帰ってきたら一緒におやつを食べて

おかあさんといっしょや、

再放送のはぐれ刑事純情派水戸黄門

大相撲などを見たり、

 

 

夏休みはいとこ達と北海道やディズニーランドに連れて行ってくれました。

(おばあちゃんは、ディズニーを言えないためデズニーランドと言います)

 

 

 

おばあちゃんは料理が得意でした。

 

私はお母さんの作るものより、

おばあちゃんの作る魚の煮付けや煮物、

特にお赤飯が大大大好きでした。

 

 

 

 

そんなおばあちゃんですが、

80歳を過ぎて、少し物忘れが激しくなりました。

 

ただ幸いにして、介助がいるかな?どうかな?レベルなので、

みんなに見守られながら毎日を暮らしています。

 

 

 

おばあちゃんは、私の流産を覚えていないようで、

「まるこにはまだ子供ができんのか」

「わしゃ早く見てえ」

 

と、私の帰省の度に言います。

 

 

 

 

妊娠していない頃は、この言葉を聞くのがとても嫌でした。

プレッシャーでした。

 

 

でも今は、

流産を経験した今は、

なぜでしょうか、そこまで気になりません。

 

 

 

 

おばあちゃんは19歳でお嫁にきて、

その後3回連続で死産を経験しています。

 

 

「今だったら、保育器があるから、きっと生きられた」

「亡くなったのはみんな男の子だった。男の子は弱いんだ。」

 

 

私が子供のころ、年に一度は聞いてきた言葉です。

 

 

年に一度は、というのは、お盆。

ちゃんとお墓が3人分あるんです。

 

 

夏のお墓参りの時に、

おばあちゃんはよく言っていました。

 

 

今までだったら、

3つ並んでいるお墓を見ても、

お墓を見て語るおばあちゃんを見ても、

正直そこまで深くは考えていませんでした。

 

 

 

でも今は。

 

自分が流産を経験した今は。

 

 

 

当時のおばあちゃんはどんなに辛かっただろう。

 

自分の赤ちゃんを産んで、すぐ亡くなって。

 

 

 

一度でも辛く苦しいのに、それが三度も。

 

 

 

しかも、今の私よりもっともっと若い時。

 

 

 

辛いことなんて比較するものじゃないけど、

私の受けた流産の悲しみなんて、

きっと比じゃないんだろうな。。。

 

 

 

おばあちゃん、辛かっただろうなぁ。

当時はどれほどの思いをしたんだろう。

 

 

そしてどうやって、乗り越えたんだろう。

 

すごいなぁ。

 

 

 

 

 

でも、きっと、

私も、おばあちゃんのように、

きっと乗り越えられる。

 

 

 

 

そしたら、また妊娠して、

次こそ順調に育って、大きく大きくなって、

 

元気で元気でとっても元気で

 

可愛い可愛い赤ちゃんを、産める。

と、信じて明るく楽しく生きる!!

 

 

それだけです(^^)/

 

あ、この写真は先日、某ショッピングモールに展示されていた

シルバニア村です。

 

家族の話題だったので、載せてみました。

 

では!